昭和5年東京ゴルフ倶楽部朝霞コースの設計のため大谷光明らに招聘されたチャールズ・アリソンは、それまでの日本のコース設計のあり方に大きな衝撃を与えることとなった。
「自然の美しさと地形をいかす」を基本とした設計コンセプトと日本の風土に合ったコースを造りたいという熱い思いで、僅か3ケ月の日本の滞在期間に東京ゴルフ倶楽部朝霞コース、広野ゴルフ倶楽部、川奈ホテルゴルフ場富士コースの3コースを設計。更に霞ヶ関カントリー倶楽部東コース、茨城ゴルフ倶楽部、鳴尾カントリー倶楽部、宝塚カントリー倶楽部の改造案までを手がけた。これらのコースはその造形の美しさと高い戦略性で今の時代においても最高の評価をうけている。アリソンバンカーと称される深いバンカーは彼が日本にもたらしたものの一つでもある。
当時設計のため川奈ホテルゴルフ場に現れたアリソンに偶然遭遇したのが、その後日本一の設計家となる井上誠一であった。設計図を手に原野を遠望するアリソンの姿を垣間見て「面白そうだ、自分もやってみよう」との思いにかられる。その翌年、霞ヶ関カンツリー倶楽部の創始者の一人で、アリソンの招聘にも関係していた藤田欽哉を頼って霞ヶ関CCの職員となった井上誠一は、藤田の助手としてアリソンの改造案にもとづいて行われた東コースの改造から、後に西コースの改造を手がける。その後昭和11年には久里浜ゴルフコース(第二次世界大戦中に消滅)を完成させた。
「井上先生は自分の仕事場に、アリソンが設計した東京ゴルフ倶楽部朝霞コースの設計図を掲げておいていつも褒めておられました。朝霞コースをコース設計の基本と考えていたようです」と後に天城高原GCの設計に参加し井上と親交のあった宮澤長平は著書の中でこう述べている。 |